質問:性格悪い人は、どこであのような性格になったのでしょうか?
職場や日常生活で「なぜこの人はこんなに性格が悪いのだろう?」と疑問に思った経験は誰にでもあるでしょう。他人を傷つける言動を繰り返したり、自己中心的な行動ばかり取ったりする人を見ると、「生まれつきなのか、それとも何かが原因でそうなったのか」と考えてしまいます。
この人間の根本的な疑問に対して、今回は人間の心と性格形成を深く探求した3人のレジェンドが答えてくれます。人間の無意識を解明した心理学者ユング、自身の内面の闇と向き合った哲学者アウグスティヌス、そして人間の本性について論じた中国の思想家孟子。それぞれ異なる時代と視点から、人格形成の謎に迫っていきます。
カール・グスタフ・ユングの回答:影の部分が人格を歪ませる

人間の性格形成を理解するには、まず「無意識」の存在を認識する必要がありますね。私たちの心は意識できる部分だけでなく、個人的無意識、さらには人類共通の集合的無意識から構成されているのです。
いわゆる「性格の悪い人」の多くは、自分の「影(シャドウ)」の部分を統合できずにいる状態なのです。影とは、私たちが認めたくない自分の一面、社会的に受け入れられないと感じて抑圧してきた感情や欲求のことです。この影を無意識に押し込めたままでいると、それは歪んだ形で表面に現れてくるのです。
例えば、幼少期に「良い子でいなければ愛されない」という環境で育った人は、自分の怒りや嫉妬といった感情を徹底的に抑圧します。しかし、これらの感情は消えるわけではなく、無意識の奥底で膨れ上がり、大人になってから他者への攻撃性や支配欲として噴出することがあります。
また、現代社会特有の問題として、SNSやメディアによる「理想的な自分」の演出があります。真の自分と理想の自分の乖離が大きくなりすぎると、心理的な不安定さが増し、他者を貶めることで自分の価値を保とうとする防衛機制が働くのです。
性格の悪い人への対処法としては、その人の行動の背後にある無意識的な動機を理解することです。攻撃的な人は実は深い不安や恐れを抱えている場合が多く、その恐れが攻撃という形で表れているのです。相手の影の部分を見抜きつつ、自分自身の影とも向き合うことで、より建設的な人間関係を築くことができるでしょう。
「無意識を意識化せよ。そうしなければ、無意識があなたの人生を支配し、あなたはそれを運命と呼ぶことになる」
アウグスティヌスの回答:人間の心には光と闇が共存している



私自身、若い頃は放蕩の限りを尽くし、罪深い生活を送っていた。しかし、その暗い過去があったからこそ、人間の心の複雑さと、善悪が混在する人間性の本質を理解することができたのである。
「性格の悪い人」と呼ばれる人々を見るとき、私は彼らの中にかつての自分の姿を見る。人は皆、内面に深い葛藤を抱えており、愛されたいという根源的な欲求と、それが満たされないことへの絶望や怒りが混在している。
性格の形成において最も影響を与えるのは「愛の欠如」である。幼少期に無条件の愛を受けられなかった人は、愛を求める方法を知らず、注目を集めるために否定的な行動を取ることがある。また、愛されるに値しない存在だという自己認識が根底にあると、他者も自分と同じように価値のない存在だと見なし、冷酷な態度を取るようになる。
さらに、現代社会では「成功」や「勝利」が過度に重視され、他者を蹴落としてでも上に立とうとする競争原理が人々の心を蝕んでいる。このような環境では、他者への共感よりも自己保身が優先され、結果として利己的で冷淡な性格が形成されやすくなる。
しかし、私が『告白』で記したように、どんなに罪深い人間であっても、内省と悔い改めによって変わることができる。性格の悪い人に対しては、その人の行動を許容する必要はないが、その人の内面にある苦悩や渇望を理解しようとする姿勢は持つべきである。なぜなら、私たちもまた完璧ではなく、同じような闇を心の奥底に抱えているからだ。
「汝、われを造りたまえり。われらの心は汝のうちに憩うまでは安らかならず」
孟子の回答:教育と環境が人の本性を歪める



人の本性は元来善なるものである。これが私の根本的な信念だ。では、なぜ性格の悪い人が存在するのか。それは「教育の失敗」と「環境の悪影響」によって、本来の善性が覆い隠されてしまうからである。
人間には生まれながらにして「仁・義・礼・智」という四つの善の萌芽がある。仁は他者への思いやり、義は正しい判断力、礼は社会的な調和を保つ力、智は物事を正しく理解する力である。しかし、これらの芽は適切な教育と良い環境がなければ育たず、逆に悪い環境にさらされ続けると萎縮してしまう。
現代社会を見ると、多くの人が競争社会の中で「勝つか負けるか」という二元論に囚われ、他者を思いやる心を育てる機会を失っている。また、物質的な豊かさばかりを追求し、精神的な成長や道徳的な修養を軽視する風潮がある。このような環境では、人の善性が十分に発達しないのは当然である。
さらに、現代の教育システムには大きな問題がある。知識の詰め込みに重点を置き、人格形成や道徳教育が軽視されているのだ。テストの点数や偏差値で人を評価する仕組みは、人間を点数で測れる存在だと錯覚させ、他者への敬意や思いやりを失わせる。
しかし、希望もある。「浩然の気を養う」という私の教えのように、人は何歳になっても学び、成長することができる。性格の悪い人も、適切な指導と良い環境があれば、必ず変わることができるのだ。
実践的な対処法としては、相手の善性を信じて接することである。攻撃的な人に対しても、その奥底にある善の萌芽を見つけ、それを育てるような関わり方をする。そして、自らも常に学び続け、良い手本となることで、周囲の人々の善性を引き出すのである。
「人は皆堯舜たりうる。教育こそが人間を人間たらしめる最も重要な営みなのである」
まとめ
3人のレジェンドが示してくれたように、「性格の悪い人」の背景には複雑な心理的・社会的要因があります。ユングの心理学的視点では無意識の影の統合失敗、アウグスティヌスの哲学的洞察では愛の欠如と内面の葛藤、孟子の道徳哲学では教育と環境の影響が主な原因として挙げられました。
重要なのは、性格の悪い人を単純に「悪人」として切り捨てるのではなく、その人格形成の背景を理解し、可能な範囲で建設的な関係を築こうとすることです。同時に、私たち自身も内面の闇と向き合い、継続的な成長を心がける必要があります。歴史的な叡智に学びながら、より深い人間理解を目指していきましょう。