【涙もろくなる原因】を心理学者3人が解説|年齢と感情変化の真実【レジェンド知恵袋】

「最近、映画やドラマですぐ泣いてしまう」「昔はこんなに涙もろくなかったのに」─そんな感情の変化に戸惑いを感じていませんか?涙もろくなることを「年のせい」と単純に片付けてしまいがちですが、実はそこには深い心理的・生理的なメカニズムが働いています。今回は、人間の心の奥深さを探求した3人の巨匠が、この繊細な感情変化について解説します。分析心理学の父ユング、近代日本文学の巨匠夏目漱石、そして古代ギリシャの大哲学者アリストテレスが、それぞれ異なる視点からあなたの疑問にお答えします。

ユングの回答:「人生後半の個性化が感情を豊かにする」

ユング

「涙もろくなることを恥じる必要はありません。それは心の成熟の証なのです。」

私の分析心理学では、人生を前半戦と後半戦に分けて考えます。人生の前半(およそ40歳まで)は、社会的適応と外的成功に向かうエネルギーが支配的です。この時期は意識的な自我が強く、感情をコントロールしようとする傾向があります。しかし40歳頃を境に、心の重心が内面へと移行し始めるのです。

これが「人生の正午」と呼ばれる転換点です。この時期から始まる「個性化過程」では、これまで抑圧してきた無意識の内容が意識上に浮かび上がってきます。若い頃に「弱さ」として封印した感受性や共感性が、再び表面化するのです。

私自身、40代で深刻な心理的危機を体験しました。それまでの合理的で科学的な思考だけでは説明できない、神秘的で感情的な体験が次々と起こったのです。当初は困惑しましたが、やがてこれらの体験が真の自分への道筋であることに気づきました。

涙もろくなるのは、アニマ(男性の中の女性的要素)やアニムス(女性の中の男性的要素)といった対極的な要素が統合されつつある証拠です。男性なら感受性や直感が、女性なら論理性や意志力が、バランスよく発達してくるのです。

集合的無意識とのつながりも深まります。人類共通の元型的イメージ─母性、英雄、賢者など─により深く共鳴するようになり、映画や小説の普遍的なテーマに強く反応するようになります。これが涙もろさの正体の一つです。

「涙は魂の言葉です。年齢とともに涙もろくなるのは、あなたがより深い人間になっている証拠なのです。」

夏目漱石の回答:「近代人の繊細な神経が生む美しき感情」

夏目漱石

「涙もろくなるというのは、実に文明人の証拠でございましょうな。」

私は『こころ』や『それから』で、近代に生きる人間の複雑な内面を描いてまいりました。文明が発達し、人間の感受性が研ぎ澄まされるほど、我々は微細な感情の動きに敏感になるものです。これは決して弱さではなく、むしろ人間性の深化なのです。

私自身、胃潰瘍に悩まされ、神経衰弱で苦しんだ経験があります。当時は「神経質」と呼ばれていたこの状態も、実は繊細な感受性の裏返しでした。年を重ねるにつれ、人生の機微により深く気づくようになり、他者の痛みをより深く理解できるようになったのです。

『草枕』で述べたように、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。」人間は本来、論理と感情の間で揺れ動く存在です。若い頃は理性で感情を押さえつけることができましたが、年齢とともにその境界が曖昧になってきます。

これは『門』の主人公・宗助のような、人生の中年期に差し掛かった人間特有の心境でしょう。過去の記憶がより鮮明によみがえり、失ったものへの郷愁や、残された時間への切迫感が、感情を昂ぶらせるのです。

私が観察した明治の人々も、西洋文明との接触により感情が複雑化していました。古い価値観と新しい思想の狭間で、心は常に揺れ動いていたのです。現代のあなたも同様に、変化する社会の中で、より敏感な感性を身につけているのではないでしょうか。

文学や芸術に感動しやすくなるのは、人生経験が豊かになった証拠です。若い頃には理解できなかった作品の深層に、今なら共鳴できるのです。

「涙は心の余裕から生まれます。年齢とともに培われた豊かな感性こそ、人間の最も美しい財産なのです。」

アリストテレスの回答:「感情の中庸と人生段階の自然な変化」

アリストテレス

「涙もろくなることは、人生の各段階における自然な変化である。これを理解することが肝要であろう。」

私の『ニコマコス倫理学』で論じたように、人間の感情には適切な「中庸」が存在する。しかし、この中庸点は年齢とともに変化するものだ。若年期、壮年期、老年期それぞれに特有の感情パターンがあり、これは自然の摂理に従った変化なのである。

私の観察によれば、青年は情熱的で勇敢だが、経験不足により感情が極端に振れやすい。壮年期は理性と感情のバランスが最も取れているが、往々にして感情を抑制しすぎる傾向がある。そして老年期に入ると、蓄積された経験と知恵により、より深い感情移入が可能になるのだ。

『詩学』で私が論じたカタルシス(感情の浄化)理論も関連している。悲劇を観て涙を流すのは、心の中に溜まった感情的な澱を浄化する自然な作用だ。年齢とともにこの浄化作用がより敏感になるのは、人生経験により感情の蓄積が豊かになったからである。

生理学的にも説明できる。私の『動物誌』での観察では、生物は成熟するにつれて感覚器官の働きが変化する。人間も同様に、神経系統や内分泌系の変化により、感情反応のパターンが変わるのだ。これは病的変化ではなく、自然な老化プロセスの一部である。

また、『形而上学』で述べた「質料」と「形相」の関係からも理解できる。若い頃の感情は「質料」的で荒削りだが、年齢とともに経験という「形相」が加わり、より洗練された感情表現が可能になる。涙もろさは、この洗練された感情の現れなのだ。

重要なのは、この変化を恥じるのではなく、人間本来の自然な発達過程として受け入れることである。

「中庸こそ美徳なり。年齢に応じた感情の変化を受け入れることが、真の知恵者の態度である。」

まとめ

三人の賢者が明らかにしたように、涙もろくなることは決して単純な「年のせい」ではありません。ユングの個性化過程、漱石の感受性の深化、アリストテレスの自然な変化論─すべてが示すのは、これが人間の成長と成熟の証だということです。豊かな人生経験と深まった感受性が生み出す涙は、あなたの人間性の美しい表現なのです。この変化を受け入れ、むしろ誇りに思ってください。

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