【レジェンド知恵袋】友達付き合いが面倒な理由を心理学者3人が解説|疲れる原因と対処法

「友達は大切」と分かっていても、時々無性に面倒に感じてしまう友達付き合い。誘いを断りたくなったり、一人の時間が恋しくなったり…そんな複雑な気持ちは決して珍しいものではありません。この人間関係の普遍的な悩みを、人間の本性を鋭く見抜いたショーペンハウアー自然体の人間関係を説いた荘子、そして人間の心の仕組みを科学的に解明したユングという3人のレジェンドが、それぞれ独自の視点で解き明かします。哲学・道教・心理学の叡智が明かす、友人関係の「面倒さ」の正体とは?

ショーペンハウアーの回答:「人間関係は本質的に苦痛を伴う」

ショーペンハウアー

友達付き合いが面倒だと感じるのは、極めて自然なことなのだよ。

私は長年、人間の本質について考え続けてきた。そして到達した結論は、人間とは根本的に利己的な存在だということだ。各人は自分の「意志」に突き動かされて生きており、他者の意志とは必然的に衝突する。友達付き合いが面倒なのは、この意志の衝突が無意識に感じられるからなのだ。

私が考案した「ヤマアラシのジレンマ」を思い出してほしい。寒い冬の日、ヤマアラシたちは暖を取るため身を寄せ合おうとする。しかし近づきすぎると、互いの針で傷つけ合ってしまう。かといって離れすぎると寒くて仕方がない。人間関係もまさにこの通りだ。

友達といるときを思い浮かべてみたまえ。相手に合わせて話題を選び、相手の機嫌を損ねないよう言葉を選び、時には本心とは違うことを言う。これらはすべて、相手の針で傷つかないための防御行動だ。そして、この絶え間ない気遣いこそが「面倒さ」の正体なのだ。

さらに言えば、友達付き合いには常に「演技」が伴う。完全に素の自分でいられる友達など、この世に存在しない。多かれ少なかれ、私たちは「友達に好かれる自分」を演じている。この演技が長時間続くと、精神的な疲労が蓄積される。

私は決して友情を否定しているわけではない。ただ、友達付き合いの面倒さを感じることは、人間として当然の反応だと言っているのだ。この面倒さを認めることから、真の自由が始まる。

時には一人になり、他者の意志に振り回されない静寂な時間を過ごすこと。これは贅沢ではなく、精神的健康を保つための必需品なのだ。

人生は振り子である—社交と孤独、両方が必要なのだよ。

荘子の回答:「無理をするから面倒になるのだ」

荘子

友達付き合いが面倒だと感じるのは、君が「友達とはこうあるべきだ」という固定観念に縛られているからだろうか?

私は常々思うのだが、人間というものは物事を複雑に考えすぎる。友達付き合いも然り。「良い友達でいなければ」「相手を傷つけてはいけない」「みんなと仲良くしなければ」—こうした「べき論」が君を縛っているのではないか。

自然を見てみたまえ。川は高いところから低いところへ、ただ自然に流れる。岩にぶつかれば迂回し、谷があれば落ち、海に着けば止まる。そこに「面倒さ」などない。なぜなら、自然の摂理に従って、無理をしていないからだ。

人間関係も同じではないだろうか。会いたいときは会い、会いたくないときは会わない。話したいときは話し、黙っていたいときは黙る。これが自然な姿だ。ところが人間は、この自然さを「わがまま」だと思い込んでいる。

私が好きな話がある。昔、胡蝶になった夢を見た。目覚めたとき、自分が荘周なのか、それとも荘周になった夢を見ている胡蝶なのか分からなくなった。これが「胡蝶の夢」だ。

友達付き合いでも同じことが言える。「本当の自分」と「友達の前の自分」のどちらが本物なのか?実は、どちらも本物であり、どちらも幻なのだ。場面に応じて変化する自分を受け入れれば、演技をしているという罪悪感からも解放される。

面倒だと感じたときは、素直にその気持ちを受け入れれば良い。「今日は人に会いたくない気分だ」—それで十分だ。理由を探したり、罪悪感を感じたりする必要はない。

真の友達なら、君のそうした自然な気分の変化も理解してくれるはずだ。もし理解してくれないなら、それはまだ真の友達ではないということかもしれん。

私の哲学の核心は「無為自然」だ。無理をしない、作為的でない、自然体で生きる。友達付き合いも、この原則に従えば、面倒どころか、風のように軽やかになるはずだ。

無用の用—一見無駄に見える一人の時間も、友情にとって大切な栄養となるのだよ。

ユングの回答:「内向性と外向性、そしてペルソナの疲労」

ユング

友達付き合いが面倒に感じるメカニズムを、心理学的に分析してみましょう。

まず理解していただきたいのは、人間には「内向性」と「外向性」という基本的な性格傾向があることです。内向的な人はエネルギーを内側から得て、外部との交流でエネルギーを消耗します。一方、外向的な人は他者との交流からエネルギーを得ます。

もしあなたが内向的なタイプなら、友達付き合いが面倒に感じるのは当然の現象です。これは性格の欠陥ではなく、脳の構造的な違いによるものです。内向的な人にとって、社交的な活動は交感神経を刺激し、疲労を蓄積させるのです。

次に「ペルソナ」について説明しましょう。ペルソナとは、社会的な場面で私たちが身につける「仮面」のことです。友達の前では「良い友達である自分」というペルソナを身につけます。このペルソナの維持には、かなりの心理的エネルギーが必要です。

長時間ペルソナを身につけていると、「ペルソナ疲労」が起こります。これが友達付き合いの面倒さの正体の一つです。特に、複数のグループに属している現代人は、グループごとに異なるペルソナを使い分けなければならず、その疲労は深刻です。

さらに「シャドウ」の概念も重要です。シャドウとは、私たちが認めたくない自分の側面です。友達の前では「いつも明るい自分」を演じていても、内心では「今日は機嫌が悪い」「相手の話がつまらない」といった感情が湧いてきます。このシャドウを抑圧し続けることが、心理的な負担となるのです。

私の提案する解決策は「個性化」です。これは、ペルソナとシャドウを統合し、より真の自己に近づいていくプロセスです。友達に対しても、完璧なペルソナを演じ続けるのではなく、時には疲れている自分、機嫌の悪い自分も受け入れてもらえる関係を築くことが大切です。

また、自分の内向性や外向性を理解し、それに応じた友達付き合いのペースを見つけることも重要です。内向的な人なら、大勢での集まりよりも少人数での深い会話を選ぶ、定期的に一人の時間を確保するなど、自分のエネルギーパターンに合わせた付き合い方をすべきです。

あなたの中に答えがあるのです。友達付き合いの面倒さは、あなたの心が発している大切なサインなのです。

まとめ:面倒さを受け入れることから始まる真の友情

ショーペンハウアーは人間関係の本質的な困難さを、荘子は自然体でいることの大切さを、ユングは心理学的なメカニズムを、それぞれ明快に説明しました。3人に共通するのは「面倒だと感じることは自然で健全な反応である」ということです。この感情を否定せず受け入れることで、より楽で持続可能な友人関係が築けるのです。完璧な友達を演じることをやめ、等身大の自分で付き合える関係こそが、本当に価値ある友情なのかもしれませんね。

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